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東京都現代美術館/DialogInTheDarkTokyo

最近観に行った展覧会





東京都現代美術館


フセイン・チャラヤン~ファッションにはじまり、そしてファッションへ戻る旅
MOTコレクション~Plastic Memories-いまを照らす方法
トーキョーワンダーウォール公募2010入選作品展
TOKYO WONDER WALL2000-2009 10年!

と観たなかで一番心に響いたものを一つ、少し感想。



山川冬樹さんの作品 「the Voice-Over」(MOTコレクション~Plastic Memories-いまを照らす方法)

公式な文が見つからなかったため、簡単な作品の説明を。


この作品は今は亡き、テレビ局のアナウンサーの父親の声(実際にテレビでマイクをつけて話している声や、父親自身がプライベートで録音をしていた声)とその父親の映像(と言ってもしっかりと顔が映っていない、ぼんやりなのだ)、それらの声・映像の時代の情勢を象徴するテレビ映像で作られている。
音の振動、映像の流れる位置。
映像と音のインスタレーションの中に入って鑑賞するという感覚。

ーーー


働いている姿、夫から父へとなっていくプライベートの姿等がぼんやりぼんやりと点と点でゆっくりと繋がっていく。

今はいない人の残った記録。
切なくも在った「生」の暖かさを感じる。

そして鑑賞して一番この作品が響いたのは
それらのなかでポソっと弱さを出した声が入っていたのが私のなかで大きかった。
長々とではない本当に小さくて短い声。
おそらく公の仕事でそのような声を漏らすことなく、かつ家庭でもそう頻繁に声に出していなかったのではないだろうか。
小さいのに重い。
その声を異様なほどリアルに「体感」したことに戸惑いすら感じた。

小さな水滴が水面に落ちて波紋が広がるように
(日本)人が仕事をして、生きていく姿を感じ、考えてしまった。

音と映像の作りが客観視のみでは収まらないようになっているからこそ、この声も小さいながら拾ったのだろうと思う。


この作品はプロローグとして一番最初に展示されている。
(部屋になっているので設置という言葉のが合う気もするけど、やっぱり展示)
テレビという誰しもが身近なものを使用した作品で、今回の企画のテーマの導入の位置となる場所の展示になっていたのかなぁと思う。

ただ、私にとって、この作品がとても響いてしまった為、他の作品がそれこそぼんやり鑑賞になってしまった。












DialogInTheDarkTokyo



まっくらな中で、五感をとぎすます。
森を感じ、水の音を聴き、仲間と進む。

まっくらやみのエンターテイメント。
ダイアログ・イン・ザ・ダーク



ーー


どれだけ視覚に頼って生きているのだろうか。

全く見えない空間の始めにそう思った。

視覚だけが失われた世界。
たった一つの感覚がないだけなのにその感覚を失った恐怖を知る。

でも、そう思ったのはほんの最初だけ。
視覚のない世界からのお別れがちょっと寂しくも感じてしまうくらい良質のエンターテイメント。


私の気付きを少し。

私は耳を意外と適当に使って生活していた。
片方の聴力がちょっと良くないのでそこが不安だったのだけれども(但し書きに難聴の方は~の文字)
聴力の悪さが原因ではない、耳の使用の仕方をしていたことに気付く。
声からの人の位置が最初、本当に分からない。
少し、クルーから外れた気もしなくもないのだけれども、でもどこにいるのか分からない。
そんなのが、ある時を境に面白い程分かるようになった。
耳を使って感じる、



匂い、
嗅覚が敏感になる、
匂いの「重さ」と「スピード」の違いがはっきりと分かって面白い。



あとこれは自身への気付き。
一緒に行動をする人に対して声を出して言葉を伝えることの大切さ。

「ジェスチャーが大きい」と小学生時代から言われているのは
それは言葉でかなりの量を補えていないからなのかもしれないと思った。
母国語、日本語を使用してでおかしな話なのかもしれないけれども。

声でクルーの人達と繋がることがとても大切です、
と入る前に言われていたのに、はじめどうも声が出なかった。
それは、知らない人たちと一緒というのもあるのかもしれないけれども
それよりも、もっと前の自分が声で言葉を使って伝える力が不足しているところのような気がした。
目の見える日常生活でも、そういえば…という回想をしてしまった。
視界が頼りにならないから、さらに困る自分。

いっぱい言葉を声を使って出してみた。

シンプルだけどとても大切なこと。

声を使って人と繋がることはとても楽しいことだ。




案内人は日常生活でも目の見えない方。
戸惑うクルー達を優しく丁寧に案内してくれる。
プロフェッショナル、だ。
この体験によって、私たちが気付くものの引き出しの在処を上手いことそっと伝えてくれる。
明確な言葉で伝えてくれるのだけれども、引き出しの場所を明確に教えてくれるわけではない。
引き出しの場所をコトッと音を鳴らしてくれる、そんな感じ。
こういうことが出来る人って素敵な人だなぁと思う。
そういう人になれたらなぁとも。



ダイアログ・イン・ザ・ダークの会場を出た帰り道、行きに通った道を戻るわけなのだけれども、
自分のなかの何かが良い意味で違うことになっている変化があると思う。



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